2013年9月に東京大学駒場キャンパスで行われたSYNAPSE Classroom vol.2「ネコとヒトの( ) -Love Metamorphose-」。ネコ研究の第一人者である齋藤慈子先生(東京大学教養学部統合自然科学科講師)を迎え、ネコに関する実験や心理について学びしました。ゲストにはネコ好きの映像作家・山口崇司さん、アーティスト・Houxo Queさん、Webプロデューサー・西村真里子さんが参加。ヒトとネコの不思議な関係性について、齋藤先生のレクチャーを振り返ります。
ネコの研究をする前に
「誰しも若かりし頃、なぜ自分は存在するのかと考えたことがあると思います。その答えを知りたくて、生物の進化について研究しようと大学に入りました。進化と言えばチャールズ・ダーヴィンを思い浮かべますよね。進化とは生物の遺伝的につくられている特徴、具体的な例としては、目の色や髪の色などが世代を経るごとに変わっていく事を指します。必ずしも高等な生き物が後からでてくるというはわけではありません。進化を説明するのが、ダーウィンが考えた自然淘汰理論です。
自然淘汰理論には4つの前提があります。ひとつは、生き物は繁殖する個体よりも多くの個体が産まれるということ。シャケの卵であるいくらを思い浮かべるとわかりやすいですが、いくらのほぼ大多数は途中で死んでしまいますよね。また2つめは同じ種でも、顔の形や大きさや性格など個体差がある。3つめは、その個体差の中には生存と繁殖に影響を与えるものがあるということ。食べられそうになったら、すばしっこい動物のほうが生き残るし、かっこいい人はより子孫を多く残す。個体によって差があります。4つ目はそういった個体差の中には遺伝が影響しているものがあるということ。子どもの顔が親とそっくりという現象もDNAから伝わった結果です。これら4つの前提が積み重なり、その時々により多くの子を残す遺伝的な特徴が次の世代に伝わることで、生物は進化してきたわけです。これが自然淘汰のプロセスで、人間もネコも同じプロセスを受けてきました」
「私が学部生の頃は、DNAの配列を調べて生物がどのように進化してきたのかを調べる研究が盛んでした。でもDNAは目に見えないので、できるだけ目に見える形で研究ができないかと考えたんです。つまり、動物の行動を観察することで進化の過程を研究できるのではないかと。行動生態学という分野のに近い比較認知科学という分野で、簡単に言えば動物の心理の研究です。ヒトを含めた、動物の心の動きを観察し、それを系統分析するのが1つめの目的です。
生物の進化において、はじまりからどんどん分岐していくことで、系統樹が描けます。ヒトに最も近い種はチンパンジーですが、両者に共通してみられる心の働きは、共通祖先にまでその起源が遡れると考えます。これが進化史の再構築です。もうひとつの目的は、ヒトを含む動物の心の働きが出てきた原因を探ります。例えばコウモリと鳥は両方とも翼を持ち空を飛びますが、コウモリは哺乳類で鳥は鳥類のため、系統的にはかけ離れています。これは空を飛ぶ必要があるという共通の原因があったから。こういったことを研究するのが比較認知科学です」
「大学で私が比較認知科学を研究しようと思った時、ネコを研究対象に選びました。なぜネコだったかというと、可愛かったから。中学生の頃から実家では2匹のネコを飼っていて、多い時には7匹くらい、全部で23匹もいました。そういう環境で暮らしていたから、被験体がたくさんいたという理由もあったのですが。とはいえ、単に可愛いからといって研究はできません。イヌとネコは伴侶動物と言われ、人間とともにパートナーや家族として密接な関わりもつ動物の代表です。イヌネコともに日本ではそれぞれ1千万頭前後、合わせると2千万頭も飼われいます。ペットを飼うことの身体的な効果を研究する分野もあります。人間とペットの健全でよりよい関係を築くためにも、より認知行動学を研究する必要がある。そう考えて研究をスタートしました」
ネコ好きとイヌ好きを比較する
「イヌが好きな人とネコが好きな人は、ちょっと違いますよね。私は、イヌが好きな人はリア
ではないのかなと思うんです。極端なイヌ好きとネコ好きの例をあげると、ヒットラーはイヌ好きでヘミングウェイはネコ好き。イヌ好きな人は封建的で、ネコ好きな人は自由なタイプというイメージがあります。性格を分析する際に、1.外向性/内向性、2.愛想のよさ、3.誠実さ、4.神経質、5.開拓性=保守的でない、という5因子でタイプ分けができます。これらを元にイヌ好きネコ好きの4500名を対象にした研究結果では、外向性や愛想のよさ、誠実さはイヌ好きの人が高く、神経質と開拓性はネコ好きの人が高かった。データとしてみていくと、ネコ好きな人は人と接するのが苦手で閉じこもりがちだけれど、新しいモノ好きとい分析ができます。そういう人がネコに対してどんな魅力を感じているかというと、ilove.catのインタビュー記事のおよそ半数の人が“距離感がいい”という言っていました。距離感があるほうが心地よいと感じている。ネコ好きな人がイヌが苦手な理由は、私もそうなのですが、イヌはずーっと私のことを見ている。その密着度がちょっと疲れてしまうなと。他にもインタビューの中で、ネコは自由気ままで自立しているところがいいとありました。一方、イヌ好きの人は忠実で従順なところが好きといいますよね」
家畜化された動物たち
「ネコの魅力は行動だけでなく、容姿も可愛いと言われます。その可愛いという感覚を真面目に分析しようと思います。まずは家畜化の歴史から辿ってみると、10数年前までは人とネコが共生し始めたのはいまから4000年前の古代エジプトの頃ではないかと言われていました。それが、2004年にキプロスという島でネコと人間が同じお墓の中で埋葬されていたという発見がされました。この発見から、約1万年前から人とネコは共生していたのではないかというのが最近の説です。また遺伝子からネコがどこで家畜化されたのかも調べられています。ヤマネコとイエネコの遺伝子を比較し、共通点を調べていくと発祥の地がわかります。ネコの祖先種は、単独性のリビヤヤマネコだといわれています。一方、イヌはオオカミが祖先種で、群れ生活をしています。
リビヤヤマネコがなぜ人と共生するようになったかというと、人が農耕を始め、食べ物を蓄えるようになった時、ネズミなどげっ歯類が集まってきました。そのネズミを捕ってくれるネコを人間が受け入れ、共生しはじめたのではないかと言われています。また狩りをするには野生性が必要で、完全に家畜化されるというよりは、半野良として人間が与える食事以外にも自分で獲物を探したりもしていました。人間は大型動物や肉食動物などいろんな動物を飼ってみるのですが、餌の供給が問題となり、家畜化されるのは草食動物が多いですよね。また人間が動物をコントロールするためには、優位に立つ必要がある。そのためには順位のある群れで生活していて縄張りをつくらないということが重要です。こう考えるとイヌとネコでは大きな違いがあります。ネコは単独性であり、人の言うことを聞いてこなかったのです」
研究対象になりにくいネコ
「大学生の時、ネコに順番がわかるのかという研究をしていました。しかしイヌと違って、ネコは餌で釣れない。また外に連れ出せないので、お宅に伺わなければいけないし、知らない人が来たら逃げてしまうネコもいます。心理学の分野ではネコの行動は研究されてきましたが、基本的にネコは研究対象に向かないといわれてきました。
社会的知性という言葉があるのですが、他の動物に対して社会的な環境ででてくる心の働きのことで、同じ種として認知するかどうかといった簡単なことも含まれます。また表情の認知といった複雑なことも、社会的な文脈で心の働きの研究がされています。イヌに関するこういった研究の論文は、毎月雑誌に発表されています。イヌネコを飼っていたら当然と思うような行動も、研究として数値化して発表されているんです。ほとんどが、イヌはなんて賢いんだろうって結果なのですが、ネコについての研究は全くといっていいほど発表されていません。またこれは個人的な主観かもしれませんが、研究者として生き残るためには、自己アピールが上手くないといけない。イヌ好きな人は社交的で、研究者にもイヌ好きが多く、ネコ好きな研究者はなかなか生き残っていけないのではないかなと思っています」
「ネコは社会的なコミュニケーション能力が発達していないと思われていますが、人とネコは共存していて、野生種と比べ、イエネコはかなり変化しているのではないかと。ライオンやチーターといった例外を除いて、ネコ科の動物は単独種ですが、イエネコは人の与える餌に寄ってくるので、他個体と共存し、複数頭飼っている人はわかると思いますが社会的な順位なども形成されています。ネコとネコの間はもちろん、ネコと人の間でもコミュニケーションは成り立ちます。人間に対して拒否反応を示さないためには、生後2ヶ月までに人間と触れ合うことが必要と言われています。ネコから見たらヒトは他種なのですが、仲間として認識されている。また私は先日、飼い主の声を聞き分けられるかという研究を発表しました。ネコを飼っている人から見たら当然の話なのですが、研究として科学ジャーナルに掲載することで、ネコが研究対象になりえるということをアピールしました。研究としてネコの社会的知性の話は、イヌに対向してもっと発展させていくべきだと思っています」
ネコを可愛いと思う理由
「私は養育行動にも興味があり、私自身も1児の母として暮らしているのですが、自分で子どもを産むまでは、ネコは可愛いと思うものの、子どもは全く可愛いと思えなかったんです。そこで可愛いについての研究もはじめました。まず可愛いとは、動物行動学者のコンラット・ローレンツが提唱した〈ベビースキーマ〉という概念が元になっています。幼い動物というのは頭、目が大きくて、ほっぺたが膨らみ、手足が短い。そういった要素に可愛いと感じ、養育行動が引き起こされるとされています。哺乳類は母親の保護なしでは生きていけません。そこで親側が養育行動を触発されるような形態になっている。その〈ベビースキーマ〉の基準を変えることで、可愛いと感じなくなるかどうかという研究もされています。また可愛いモノを見ていると手先が器用になるといった研究があったり、可愛いモノで心の働きが変わるのではないかということを調べることで、養育行動の研究をしています。愛着の対象としては、人間の子どもだけではなく、イヌやネコなどペットを自分の子どものように考えている人も多いですよね。子どもに対応するために進化した基準が、イヌネコにも応用されているのではないか。子どもに話しかけるように、ついつい高い声でペットに話かけてしまうことも研究されています。
ではなぜイヌではなくネコなのか。イヌは鼻が長い。小型犬はより〈ベビースキーマ〉を強調するために改良されていますが、ほとんどのイヌは鼻が長く〈ベビースキーマ〉からは外れます。一方、ネコは成猫になったとしても〈ベビースキーマ〉の要素を持ったままです。またイヌよりもネコのほうが目が顔の前についていて、鼻も小さい。だからその可愛いという要素が強い。形態的な特徴もそうですが、ネコと乳幼児には似た特徴が多くあります。ネコは抱きやすく、新生児と同じくらいのサイズで、2〜3歳児くらいの知能を持っているとも言われています。とはいえ、子どもは親の保護がなければ生きていけませんが、ネコは子どものように振る舞いながらも1個体の動物として自立している。子どもとネコの違いを調べることで、可愛いと思う行動・心理を分析する事ができるのです」
■SYNAPSE Classroom vol.2「ネコとヒトの( ) -Love Metamorphose-」
http://synapse-academicgroove.com/2013/08/09/synapse-classroom-vol-2/
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