欠けたうつわを漆を使って修理する金継ぎ師の黒田雪子さんは、戦後すぐに建てられたという古い日本家屋で、愛猫・百(もも)さんと暮らしています。自然光が入り込む畳でくつろいだと思えば、お庭の木に登ったり……。家の内と外を自由に行き来する百さんの、野性味溢れる姿を取材しました。
ネズミを捕まえる野性的な猫
—全く人見知りしない猫さんですね。
「実は、昨日の夜に“今日、取材があるから家に居てくれるかな?”って説得していたんです。半野良なので、外に出かけてしまうと、いつ帰ってくるかわからなくて。居てくれてよかったです(笑)」
—百(もも)さんとの出会いは?
「以前、武(ぶー)ちゃんという雄猫と暮らしていたのですが、すごくネズミが出たんですね。でも武ちゃんは老猫で、ネズミを捕まえられなくて。そこで、武ちゃんが通っていた動物病院で、ネズミを捕まえられそうな猫がいたら、引き取りたいですってお願いしていたんです。しばらくして、病院から保護した猫がいるよと連絡がきて、見に行ったら、最初に目があった猫がいて。他にも産まれたてのカワイイ子猫がいたのですが、百がキッとこちらを見据えていて、この子にしよう! と決めました」
—武さんと百さんの2匹暮らしになったと。
「武ちゃんがすごい威嚇したので、しばらくは私の服の中に百を隠しながら過ごしていました。徐々に許されたようで、仲良くなっていきました。家にも慣れ、内と外を行き来するようになった頃、私が仕事で2~3日家を空けたことがあったんです。帰ってきたら、武はすぐに出迎えてくれたのですが、百は前足だけで下半身を引きずりながら出てきたんですね。何があったのかわからなかったのですが、大変なことが起きた! と思って、真っ青になりながらタクシーですぐに動物病院に連れて行きました。どこか高い所から落ちたようで、左足の大腿部を複雑骨折していて。すぐに手術をして、1ヶ月ほど入院していました。いまも百の足には、ステンレスの棒が入っています。なんで骨折したのかわからないのですが、獣医さんによると捻りながら落ちたようで、“おっちょこちょいな性格ですね”って。その後も、ちょこちょこ怪我をしたり……。カラダが弱いわけではないけれど、好奇心旺盛な上におっちょこちょいな性格のようです」
—武さんとはどんな関係でしたか?
「入院してもどると、またフーッて威嚇されて、イチからやり直しでした。でもある時から立場が逆転して、百のほうが強くなりました。3年くらい2匹の生活が続きました。武ちゃんは元々野良猫で、20年間ともに暮らしましたが、最後はどこかに行ってしまったんです。だからなんとなく、まだどこかで生きてる気がしてしまうんですけど」
—2匹から1匹になり、百さんに変化は?
「あんまりないですね。自由になったので、嬉々としています。武ちゃんが野良猫だったので、百だけでなく、その後にやってきた猫たちも、みんな半野良で暮らしていました。武ちゃんが出入りできるようにと、わざわざ古い家を探して引っ越してきたんです」
—百さんはいつ外に出かけているのですか?
「明け方はいつもいないです。朝6時くらいに帰ってきて、一緒に寝るのですが、私が7時くらいに起きると、スキンシップタイムが始まります。声をだしながら、グイグイと頭突きしたり。10分か15分くらい付き合って、私が仕事を始めると相手にしなくなるので、家の中で寝ていたり、庭で遊んだりしているみたいです。休憩時間には、庭に出てブラッシングをすることもあります。マッサージもかねていて、傷やシコリなどがないか確認しています。夜になるとまたスキンシップタイムがあり、私が寝る頃にはまたどこかに行ってしまいます」
—百さんは、どの辺りまで出かけているんですかね。
「わからないですね。でも、少し離れた家の辺りで見かけたこともあるので、けっこう遠くまでは行っていそうです。恋人のような猫もいて、全然イケメンじゃないんですけど(笑)、家の中に入ってきて一緒にご飯を食べています。体格のいい雄猫が、2~3匹いて、いつも見つめ合っているんですよ」
—おもちゃで遊ぶことは?
「外にでると、鳥やネズミを捕まえて食べています。だから、人間のおもちゃには目もくれません。前にネズミ型のおもちゃをあげたら、一瞬でズタズタにしてしまいました。最初の頃、鳥やネズミを捕まえたら、見せに来ていたのですが、最近ではなくなりましたね。すぐ食べてしまうようです。お作法があるのか、すごくキレイに、骨までまるごと食べるんですよ。でも胆嚢は苦いらしく、そこだけたまに残していて。床にぽとりと落ちていて、それで“ああ、食べたんだな”って気づきます」
—子猫の時から人の手で育てられながらも、なぜそんなお作法を身につけているのでしょうか?
「獣医さんは、保護した時に母猫がいたので、狩りの仕方を教わっているのでは、と。セミ捕りも上手くて、弄んだりもせずに、すぐに食べてしまいます。華奢なのに、野性的な能力が高くて、いままで暮らした猫たちの中でも軍を抜いています」
猫の枠を超えた、近しい生き物
—百さんは言葉を理解していると思いますか?
「言葉を用いたコミュニケーションではなく、人間が知り得ない感覚で理解しているような気がします。例えば、 夜にお風呂で会おうと誘っておくと、どこからともなくやってきて、一緒にお風呂にはいって蓋の上でくつろいだり。今日のように取材がある日は、家にいてねとお願いすると、一応は聞いてくれる。気まぐれてやってくれない時もありますが、伝えたいことは察知しているのだと思います」
—黒田さんは、幼い頃から猫と暮らしていたのですか?
「動物は身近にいたのですが、猫アレルギーだったんですね。武ちゃんがやってきた時も、アレルギーだから痒くなってしまって、追い払っていたんですね。でも何度もやってきて、ある日ひどく追い払ったら、目から大粒の涙がポロって流れたんです。その時に、すごくショックを受けて。だんだんと距離が縮まって、自然と猫アレルギーも消えました」
—猫がいる生活になり、なにか変わりましたか?
「あえて意識しないくらい、変わったのだと思います。人間ではないけれど、ずっと一緒にいるので、“猫”という感じではないんですね。人間でもないし、猫でもない。“近しい生き物”が常にそばにいることで、安心感があります。何もしないけれど、ただ居るだけで福利厚生がすごいある(笑)。あまりに居るのが普通すぎて、いない状態を想像しにくいですね」
—黒田さんと百さんの関係は?
「親子の時もあれば、友だちの時もあったり。こちらがちょっと落ち込んでいると慰められることもあって、百のほうが立場が上になったりもします」
モノを直すだけではない、金継ぎの仕事
—金継ぎ師になる前、もともとグラフィックデザイナーだったとか?
「写植の時代です。15年程、広告や雑誌などのデザインをフリーでしていたのですが、あまり合っていなかったんでしょうね。たまたま、大切にしていた器が割れてしまって、金継ぎについて調べ始めたのがきっかけで、興味を持ちました。最初は仕事にするなんて思っていなかったのですが、調べてみるととても深い世界で。植物と食べることに関わる仕事をしたいと思っていたのでコレだ! と思ったんです」
—金継ぎには漆を扱いますが、かぶれなかったのですか?
「漆について調べると、植物ながらそのチカラに衝撃を受けました。さらに、私は素手で触ってもほぼかぶれなくて。何年も直すことに夢中になっていたのですが、まだ仕事にするとは思えず。ある時、知り合いのうつわ屋さんに金継ぎの話をしていたら、じゃあやってと依頼をされるようになり、仕事になりました。いまでは“金継ぎ師”と名乗る人も増えてきましたが、私が始めた当時は、蒔絵師さんが空いている時間でお直しをしていただけで、専門職としている人はいませんでした。金継ぎだけで食べていくようになるまで、手探りでやってきた感じです」
—お直しする時に心がけていることは?
「金継ぎで直すのは、時間もお金もかかります。そこまでしても直したいと思うほど思い入れのあるモノなわけですよね。だからこそ、新たにモノを生み出すこととはまた違う、精神面にもそっと寄り添える仕事がしたいと思っています。自分の中では、写真と少し似ているなと思っていて。懐かしい時を思い返すことで、心身がほぐれたり、新しい気付きもある。元通りに修理することはできないわけですが、持ち主の手元に戻った時、直してよかったなと思って欲しい。技術を高めることと、技術を忘れることの両方が必要だと日々感じています」
—どんな時に達成感を得られますか?
「本当にいいと思えるのは、その対象について詳しくなくても感じるモノがありますよね。そういう仕上がりができるようになりたい。どうやったらできるか、常に考えています。作業に入る時には、浮世からスッと自分を切り離して、別世界にいく感じ。その集中を持続させ、自分を鍛錬するには、金継ぎのテクニックだけではない精神力が必要。上手く言葉にできないのですが、まだまだだなという気持ちです」