クロースアップ・マジックの第一人者として知られるマジシャンの前田知洋さんは、三浦半島に構えるご自宅で、愛猫・ヒミツさんと暮らしています。取材中、まるでマジックのように姿を消してしまった、ちょっぴり人見知りなヒミツさん。マジシャンという、華やかでありながら孤独な仕事と向き合う前田さんにとって、猫が必要な理由とはー。
母猫が子猫に教えたもの
—ヒミツさんとの出会いは?
「この家を買ってしばらくした頃、野良猫の親子が庭にやってくることに気がついたんです。母猫はお昼くらいにやってきて、子猫を庭において、餌を探しにどこかに行き、夕方になると戻ってくる。子猫はじっと縁の下に隠れていて、母猫が戻ってきたら、お乳をもらったり遊んだりしていました。僕は出張が多い仕事なので、全く飼う気はなかったのですが、ある日、母猫が子猫をバーンと叩いてどこかに行ってしまったんですね。びっくりしたのですが、子離れの時期だったようで。子猫はボー然としていて、どうにかしてあげたいなと思ったんです。でも、僕は幼い頃から犬や猫と暮らしていて、動物を飼うということに対して、ものすごく慎重でした。可愛いからといって、軽々しく飼ってはいけない。命の責任をとらなければいけないという気持ちが大きくて、1週間くらい悩みました。悩んだ挙句、よし飼うぞ! と決めて、子猫を動物病院につれていき飼うことにしました。それがヒミツでした」
—ヒミツという名前の由来は?
「マジックに関わる名前がいいなと考えて、ヒミツにしました。名前として使われることがないので、不思議に思われます。秘密にしているからヒミツなんですね、と勘違いされることも(笑)。でも実は最初は、ニャン太郎って名前だったんですよ。でもある時、動物病院で“前田ニャン太郎さんー! ニャン太郎さんー!”と大声で呼ばれ、少し恥ずかしくなりヒミツに改名しました」
—ヒミツさんはどんな性格ですか?
「小さい頃はおもちゃで遊ぶこともあったのですが、最近はあまり興味をもちません。たまに中庭にでて日光浴歩たり、夕方にやってくる野良猫たちと会話したり。野良猫のDNAが備わっているからか、人間には警戒心が強いですね。お客さんが来ると、大抵2階に隠れてしまいます。掃除をするだけで、今日は何か違うのかもって、気がつくみたいです。慣れてくると、ちょっと顔をだすこともありますが、愛想は振りまかないので、飼い主としては自分だけを愛してくれるので、独占できていてうれしい。嫉妬しちゃいますからね(笑)」
—前田さんは幼い頃から動物と親しんでいたのですか?
「子どもの頃に猫を2匹、柴犬を1匹飼っていました。大学生の頃、どうしても引き取り手のみつからない猫を預かっていたことがあって、家に連れて帰って親と兄を説得して、飼い始めました。でもしばらくすると、動物の世話は母が担当していて……。だから飼うことに対しては、ちゃんと責任を持たなくてはと思ったんです」
—犬と猫の違いはありますか?
「全く違いますよね。1番の違いは、猫は臭くない(笑)。猫は自分でグルーミングしますが、犬は洗ってあげないといけない。犬のいいところでもあるのですが、猫のキレイ好きな性質にはビックリします。触り心地もいいですしね。また、ヒミツは人が苦手なのですが、実家で飼っていた猫たちはとても人懐っこかった。猫によって性格がこんなにも違うことにも驚かされます」
—猫と暮らし始めて、変わったことは?
「人間のライフスタイルを全く邪魔しないんですよ。ソファに爪を立てたり、トイレ以外でそそうもしない。ヒミツに対して、ひいき目があるのかもしれないのですが、頭がいいんです。思い返すと、母猫がしっかりとしつけていたんですよね。例えば、木に登ってニャーニャー鳴いて、木登りを教えたり、オシッコはここでするんだよと土を掘る。母猫がいなくなって引き取ることになった時には、もうヒミツに対する教育は終わっていたんです。母猫には感謝しかないですね」
—人間の言葉も理解していると思いますか?
「友人の言語脳科学者に聞いたのですが、動物は〈さんぽ〉や〈ごはん〉といった1つの単語は認識できるらしいのですが、文章にすることはできない。〈さんぽ〉だけなら、玄関に走っていくのに“〈ごはん〉を食べたら〈さんぽ〉に行くよ”というのは、関連性がわからないみたいです。また犬のほうが、猫よりも言語認識能力が高いと言われています。ヒミツは自分の名前は認識しているみたいですが、〈ごはん〉などには反応しないですね。言葉よりも態度で示すことが多い。中庭に出たい時は、じっと窓の前で待っていますから」
—言葉はわからなくても、コミュニケーションはできると。
「ぬいぐるみではなく、生き物ですから、コミュニケーションできないと愛しさを覚えません。ノンバーバル・コミュニケーションの能力はとても高いです。小さな物音やニオイなど、気配を察する能力がある。さらに単純でなく複雑性があります。わかっていても、あえてやらなかったり(笑)。また野良猫は、優秀なDNAが残っています。そして親から子へ、教育のシステムがある。ちゃんと接することができれば、野良猫というのはとても飼いやすい動物だと思います」
SNS疲れに効く!? ネコミュニケーション
—前田さんは、ご自身のFacebookに、マジックのお話だけでなくヒミツさんの写真をたまにアップされていますよね。その投稿をみて、猫好きな方だと知りました。
「ありがとうございます。僕はブログをスタートしたのはすごく早かったのですが、今はFacebookやTwitterをやっています。でも、ここ最近はあまり更新していないんですね。インターネットで何を発信すべきか、しないべきか、また誰かを傷つけてはいないか、常に気をつけなければいけない。だから、困ったときには猫の写真をアップしています(笑)。でもそういった気遣いは時に疲れてしまって、デジタルデトックスまではいきませんが、SNSから少し距離をとりたいなと思い控えていました。でもそんな時に、犬と猫のためアプリ『ドコノコ』がスタートして、一気にハマりました。ヒミツの名前でやっています。猫の名前で他人とコミュニケーションするなんて、なんて面白いんだろうと。人間同士のコミュニケーションはやや過剰で複雑になってしまいましたよね。“猫がカワイイ”という、単純な気持ちコミュニケーションできるから、すごく楽になりました」
—確かに、すごくシンプルなコミュニケーションですよね。
「人間には、誰かと繋がりたい欲求があり、インターネットはその手段として利用されています。僕は仕事の度に、クライアントが変わります。そうすると相手のことを知るため、ゼロからコミュニケーションしなければならず、とても体力が要ります。でもそんな時、猫を飼っているんですよ、という話をすると、一気に親しく慣れるんです」
—それはまさに、ネコミュニケーションですね!
「猫を飼っているからって、相手が信用できる人かどうかなんて、本当はわかりません。でも、なぜか仲良く慣れるんです。おそらく、複雑になりすぎたコミュニケーションが、猫を通すと単純になる。誰でも、子どもの頃のような、素直な感情をストレートに表現できるんです。カワイイ! イイね!って、しがらみ関係なく、反応できる。それが、猫が現代のライフスタイルにしっくりくる理由だと思います」
不思議をもたらすマジックと猫
—ご自宅には猫グッズもありますね。
「リサ・ラーソンの置き物は、リサ自身のサインが入っています。量産型のシリーズなので手頃なものなのですが、偶然リサのサインがあるのをみつけて。うれしかったですね。またこのユニークな顔つきの猫は、機械人形と呼ばれるオートマタの巨匠・マット・スミスさんの作品です。親猫がオートマタを持っていて、首をかたむけると子猫が指をさす。イギリス人らしいシニカルな仕掛けで、これを回している僕自身を指しているんです。猫のキャラクターがモチーフになっていて、一目惚れしました」
—マジシャンは猫好きが多いんですか?
「パフォーマーという仕事は、大勢の前で喝采を浴びるのは一瞬で、実際はひとりで孤独にやる作業が大半。パフォーマー同士でも、なかなか分かり合うのは難しい。だからこそ、猫のシンプルな感情が好まれるのだと思います。海外のマジシャン仲間も飼っている人が多く、縞模様は“tabby”、三毛柄は“tri-colors”など、猫にまつわる英語を教えてもらいました」
—海外で飼っている猫との違いは感じましたか?
「アメリカで飼っている人は“猫は魚なんか食べないよ”と言っていました。基本的に肉食ですが、それぞれ国や食生活によって違うようです。また猫にまつわることざわで“a cat has nine lives=猫は9回生きる”というのがあります。1回死ぬと、また猫に生まれて9回猫の人生を繰り返すと言われています。さらに、黒猫は魔女とセットで登場します。マジシャンが猫好きというのは、納得される方も多いのではないでしょうか」
—マジックを続けていて、大変だったことは?
「僕はデビュー当初からずっと、同じマジックを続けてきました。テレビに出演させていただいても、ディレクターの方から新作は? と聞かれても、毎回同じマジックをしています。これは怠慢ではなく、同じマジックをあえてやりつづけてきたから。もちろん、毎回同じでは、お客さんが飽きてしまうのではないかと思うこともあります。でも、猫のお話にこじつけるわけではないのですが、彼らをみていると間違っていないと気づきます。猫は、いつもどんな所に登るのも、降りるのも、すっとしなやかに跳びますよね。多くの人間は、特にオリンピック選手であっても大舞台には緊張して力を入れすぎてしまう。頑張らなければと思えば思うほど、アドレナリンがでて、普段よりも力が入ってしまい、実力が発揮できずに失敗する。どうしたら適切な力加減ができるのか、と考えると、猫のような適切な筋肉の使い方をすればいいんです。パワーやスピードだけではない、そのしなやかな動きを身につけるために、同じマジックを繰り返しやり続けているんです。何千人もいるマジシャンの中で、僕を選んでくれる理由は、新作マジックではなく、エレガントな動きをみたいから。そう考えると、ずっと繰り返していくことに価値があると思うんです」
—猫の1番の魅力は?
「猫は僕にとって、嘘のない愛情を持つことができる存在です。対人間にとっては、駆け引きや、関係を保つために愛しているよとつい言ってしまうところがある。でも、猫に全力で愛するよといっても何の支障もない。嘘をつく仕事をしているからこそ、嘘がいかに脆く、効率が悪いのかを知っています。そのために沢山の努力をする。だから、嘘をつかなくていい猫が好きなんです」